


《アンアースド – アビス(見出された–深淵)》2021年
お気に入りの旅先と、定番の宿。行きつけの飲食店に、定番のメニュー。そんなハズさない選択肢も悪くないけれど、ちょっとした冒険は、何歳になっても刺激的なもの。もし時間が取れるようであれば、新しい価値観に触れる旅、つまり「アートな旅」をおすすめしたい。2025年も全国でアートの企画展や定番の常設展が開催されるが、昨年開館20周年を迎えた「金沢21世紀美術館」や、伝統工芸の九谷焼をはじめ、アートと工芸が交錯する金沢は、インプットの旅にうってつけ。また、昨年の能登半島地震の復興を願う特別展もあるため、行き先によっては復興支援にもつながるだろう。春の陽気にあわせた「アート×ファッション」コーデも参考に、アート旅に出掛けてみては?
Photos:TATSUYA YAMANAKA(stanford)
Styling:YONOSUKE KIKUCHI
Model:KENSEI MIKAMI
Text:SHINSUKE UMENAKA(verb)
2025.3.17


いわゆる絵画や彫刻といったオーソドックスなアートの鑑賞では、文脈を理解し、作家や時代に関する知識も要求される。純粋に眺めても構わないが、教養があると作品への理解が深まるのだ。対する現代美術は、社会問題や日常に潜む違和感を作品に込めているケースが多い。現代美術がとっつき易いのはそのためだ。そんな現代美術館の草分け的な存在が、金沢にある。総ガラス張りの円形の建築がシンボリックな金沢21世紀美術館だ。
金沢21世紀美術館は、金沢駅から車でおよそ10分のところにある。兼六園や金沢城など観光名所が集まるエリアで、ガラス張りの建物が存在感を放っていた。訪れた日は、季節外れの大雪。悪天候にもかかわらず、開館前から観光客が集まっていた。まずは光庭と名付けられた中庭の展示エリアを目指す。金沢21世紀美術館を代表する展示を見るためだ。レアンドロ・エルリッヒの「スイミング・プール」だ。現代美術館にプール? と題名に違和感を持つが、中庭にあるのは、まさしくスイミング・プール。来場者は作品に近づき、プールを上から覗き込むことができる。そこから見える風景は水の張られたプールのそれだ。水面がゆらめき、その下に底が見える。しかし、すぐにある仕掛けに気づく。プールの底を歩く人影が見えるのだ。実はこの作品は内部に人が入ることができ、下から覗き込んでいる人を見上げることもできる。もちろん底に水はない。


続いて、ロッキングチェアが並ぶスペースに出た。明るい光が差し込む廊下の壁には、一面の花模様が。こちらはマイケル・リンの作品だ。日本で生まれ、台湾やアメリカ、そしてパリなどで生活経験を持つ彼の作風は、伝統や様式、文化の枠を超えたオリジナリティを感じさせる。本作の制作にあたっては、金沢に滞在し、加賀友禅作家の工房を訪ねたという。そこで制作プロセスを見学し、古典的な図案に関心を抱き、インスピレーションを得たようだ。
また、訪問時は、企画展「すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」(2025年3月16日まで)が開催されていた。「新しいエコロジー」をテーマに、アーテイストの作品を展示。同時に、同じヴィジョンを共有する科学者や哲学者といった研究者たちの専門的な調査結果や理論を視覚化・可視化するという意欲的な試みで、珊瑚を使った展示も見られた。


天井から吊るされた無数の電球を使った展示は、メキシコのアーティスト、ラファエル・ロサノ=ヘメルによるもの。室内には、鑑賞者が触れるスタンドが設置されている。これを握ると、その人の心拍のリズムをセンサーが感知し、目の前に吊るされた電球の明滅へと変換される仕組みだ。普段は目に見えない、心臓の鼓動が作品に触れることで明滅として可視化されるわけだ。一人ひとり異なる心拍リズムが記憶されるたびに記録され、次々に電球の明滅として広がっていく。そして、耳を澄ますと静かに聞こえてくる明滅音が、いつまでも頭に残る。
続いて現れたのは、イタリアのアーティスト、フランチェスコ・クレメンテの《靴とグラスのある自画像》という作品。写真家が扱うバックスクリーン用のロール紙を麻布に裏打ちした支持体をキャンバスに、墨とグワッシュを用いて描いた約18点の自画像シリーズのうちの1点だという。長さが5メートルほどあり、自身の裸体とグラスがひとつ描かれている。主題は自身だが、グラスを同次元に置くことで自己の内面世界と外部環境を同一線上に表したとされる。自己は確立したものではなく、絶えず生まれ変わるもの。それは不安定だが新鮮で未知なるものでもある。そんな自己と世界との関係を、自画像を通して表現しているのだ。

フランチェスコ・クレメンテの作品の向かいにあったのは、鈴木ヒラクの《bacteria sign (circle)》。フィールド・レコーディングなどの音を使った表現から、土と葉を素材にする作品に移行した氏の最初期の作品だ。土を敷き、枯れた葉をそこに埋め込む。そして、葉脈の部分を掻き起こすという発掘的作業によって現れた線や形を生かしている。これ以降は、ライブ・ドローイングのほか、アスファルトのかけらを使ったインスタレーション、壁画、コピー用紙に描いたドローイング、映像など、制作手法は多岐にわたっていく。


再び展示室から、明るい廊下に出る。見えてきたのは、ガラスの廊下と緑の壁。こちらは恒久展示作品で、パトリック・ブランの《緑の橋》という作品だ。壁に植栽されているのは、金沢の気候に適した約100 種類の植物。春にはウツギやシャガ、夏にはギボウシやアジサイ、秋にはハギ、冬にはツワブキといった植物が顔を出し、訪れる季節によって表情が異なる。パトリック・ブランは植物学者で、若かりし頃に「垂直庭園」のアイデアを思いつき、以来そのシステムと植物に関する研究を重ねながら、世界中でこうした「垂直庭園」プロジェクトを手がけている。少し歩き疲れたので、うさぎの耳をモチーフにしたラビットチェアで、しばし小休止。


※「すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」展より(2025年3月16日まで開催)
ラビットチェアで英気を養ったところで、再び鑑賞をスタート。見えてきたのは、何やら地上から伸びる木の彫刻。AKI INOMATAという日本人アーティストによる作品だ。生き物や自然との関わりから生まれるものをモチーフにした作品が多く、この「彫刻のつくりかた」では、5つの動物園に依頼し、ビーバーの飼育エリアに角材を設置。ビーバーが齧った角材を集めて、これを展示の形に展開している。人が作為的に削り出したフォルムではなく、ビーバーが齧ったものをそのまま使用するところが面白い。木とビーバーの関係から生み出されたモノであり、誰が行為の主体であるか、作者の存在も問う作品。

※「すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」展より(2025年3月16日まで開催)
続いて展示室に入ると、古典的な天井画のようなアートと、現代の人類を象徴するような工業製品が混然となったスケールの大きな作品が現れた。アルゼンチンのアーティスト、アドリアン・ビシャル・ロハスの作品だ。協働作業によって、大規模なインスタレーションを制作する彼は、人類の終わり(ポスト人新世)について、過去、現在、未来を横断しながら探究している。地上には廃車になった自動車部品や、リサイクルプラステイックなどの産業廃棄物、そして、コンクリートやガラス樹脂が一体となった生き物のように絡み合う有機体がある。それを見下ろすように天井に飾られているのは、15世紀のイタリアの有名な画家、ピエロ・デ・ラ・フランチェスカの絵画「出産の聖母」をスケールアップさせた複製画だという。イエスを孕ったマリアが、現代の人類の活動を、功罪を含め、温かく見守っているかのようだ。