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魚釣五郎(30才)うおつり ごろう。あだ名は“釣り五郎”。職場は海川商事。好きな寿司ネタはエンガワ
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鰒田一平(52才)ふぐた いっぺい。魚釣五郎の上司。休日は釣り三昧。好きな寿司ネタはヒカリモノ
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舟山杜氏(68才)ふなやま とうじ。五郎が勝手に“師匠”と命名。神出鬼没のアングラー。好きな寿司ネタは赤貝


小さいながらも、たくさんのお土産を持ち帰った先日のワカサギ釣り。師匠には腕の違いを見せつけられたが、それでも釣れた充実感は何事にも変えがたい。思い出すだけでニヤニヤが止まらない五郎だった。課長にも報告しようと、出社後、デスクに向かったのだが……。課長はなにやら難しい顔でパソコンを睨んでいる。



せっかく契約が取れたと思ったのに、破談になるかもしれない。急な展開に茫然としていると、課長に肩を叩かれた。「そんなに落ち込むことはないぞ、魚釣。どんな商談にもリスクはある。常に備えておくことが大切だ。根魚でも釣りに行って、勉強してこい!」てっきり怒られるかと思ったのに、優しい言葉に安堵した。でも、根魚を釣れとはどういう意味だろう?
課長の言葉を胸に、週末、五郎は千葉・大原漁港にいた。勇盛丸のマハタ&ヒラメ船に乗るためだ。根魚とは海の中にある岩礁や海草群などを根城に生息する魚のこと。メバルやカサゴ、アイナメなどが代表的だが、マハタも根魚。しかも高級魚として有名で、大原沖で好調に釣れているという。昨年のヒラメ釣りのリベンジになるし、せっかくなら日頃は食べられない獲物を狙いたかったのだ。
エサに生きたイワシを使う点も以前のヒラメ釣りと同じだ。仕掛けも同じもので構わないという。そして出航時間が早い点も共通している。まだ夜が明けない、早朝に港に到着した。

船が港を出発して、1時間近くが経っただろうか。陸はとっくに見えなくなっている。ようやく船長がスピードを緩めた。水深は70mだとアナウンスが聞こえる。急いで仕掛けを整え、餌のイワシを針にかけた。底まで重りを落としたら、少し糸を巻き、海底から1〜3mをキープするらしい。事前にネットで調べてきた釣り方を実践してみることにした。以前のヒラメ釣りとの違いがあるとすれば、重りの重量だ。今回は深い海域を狙うため、重いものを選んで、仕掛けを海に投入する。
すぐに竿に反応があった。こんなに早くヒットするなんて、幸先が良い。しかし、明らかに違和感がある。魚ではない別の何かに引っ張られているような感触だ。隣のおじさんと糸が絡んでしまったのだ。
水深のある沖合いでは、流し釣りと呼ばれる潮の流れに船を委ねながらの釣りが主流だ。錨を落として、船を固定させながら行う釣りとは違い、船の向きが変わると、垂らした糸がほかの釣り人と絡まってしまうことがある。お互いに悪気はないとはいえ、気まずい瞬間だ。絡み方がひどい場合には、どちらかの糸を切ってしまわないといけない。その分、仕掛けも無駄になってしまう。五郎がつまずいている間に、船では次々とマハタが上がっていた。
気を取り直して、釣りを再開した五郎に再び悲劇が襲う。竿に強烈な引きがあり、慌てて糸を巻くが、よほどの大物なのか、びくともしないのだ。すると、背後から耳慣れた声がした。「あー、根掛かりだね。ダメだよ、無理に引っ張ったら、竿が折れちゃうよ」。せっかくマハタがヒットしたと思ったのに、海底に針が引っかかったとは……。
結局、何をやっても針が外れず、糸を切るハメになってしまった。仕掛けを結び直すことになり、気落ちする五郎。そこに師匠が話しかけてきた。
「いつも会うね。このあたりは岩礁が多いからマハタ釣りのポイントなんだけど、その分、注意していないと、すぐに根掛かりしちゃうんだ。でも、根掛かりを恐れて底から上げすぎると当たりがこないし、かといって底を引きずるのはリスクが高い。海底の地形も一定じゃないから、常に底から付かず離れずの位置に餌が来るように、仕掛けの位置をコントロールすることが大切なんだよ」
確かに師匠を見ていると、常に手元を動かしている。

師匠の言葉に五郎はハッとした。確かに自分は魚を釣ることばかりに目が向いていた。根掛かりのリスクなんて、まるで考えず、指定された水深に仕掛けを落とし、あとは誘っていれば、当たりが来ると思っていた。
課長が根魚を推した理由もここにあるのかもしれない。もう少し冷静に利益だけではなく、リスク管理もしろ!というメッセージのような気がした。
すると、ゴン!と魚が食らいついた振動が手元に伝わってきた。慌てて、糸を巻く五郎。ずしりと重くなった竿を必死で支える。水深の深さと魚の重量で、思うように仕掛けが回収できず、なかなか魚影が確認できない。網を持って、駆け寄ってきた船長もヤキモキしていた。ようやく丸々と太ったマハタが、ぷかりと浮いてきた。
「やったー、マハタだ!」
思わず声が出る。船長が手慣れた手つきで、魚を船に引き揚げてくれた。安堵からか、全身の力が抜けたように、五郎は座り込む。結局、釣れたのは、この一本だけだったが、五郎は心地よい疲労感と、満足感でいっぱいだった。釣果以上に学びの多い1日になったのである。



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