トレードマークのサングラスに涼しげなシアサッカー生地の上下、夏仕様のファッションであらわれたクレイジーケンバンドの横山 剣さん。プライベートの旅行からライブツアーやキャンペーン、“旅”と名のつくものには常に携帯するという、愛用品のスーツケースと共に撮影を行った。
「旅は大好きなんですが、だいたい今日みたいな動きやすいファッションで行きます。雑な性格なので、雑に扱えるこのスーツケースは頑丈でありがたいです。以前は旅に行くたびにいろいろ持っていきすぎて、結局着ないでそのまま持って帰る洋服も多かった。だいたいのものは現地で調達できるし、旅は身軽なほうが楽しめますよね。だからスーツケースは飛行機にも乗せられる、このサイズがちょうどいいかな」
そんな剣さんが旅で行くのは、どんな国が多いのか。
「基本的にアジアが好きですね。韓国や香港は子供の頃から10回以上は行っている。台湾、バリ島、タイ、セブ島も好きです。チャモロの文化に触れると意外に面白いグァム島、ここのところアメリカやヨーロッパには行けていないんですが、各国の“チャイナタウン”に行くのが好きなんです。ロスアンゼルスでもニューヨークでも、パリでもロンドンでもチャイナタウン(笑)。世界のチャイナタウンめぐりをして、違いを発見してエキゾチックな気分にひたるのが楽しいんです」
クレイジーケンバンドのプロフィールには、いつも「東洋一のサウンドマシーン」と書いてある。この肩書きは、ほかのバンドやアーティストにはない独自のものだ。
「日本一とか世界一はちょっと無理があるけど、東洋一って曖昧でチャーミングで奥ゆかしいでしょ? バンドという肩書きに縛られずに、クリエイティブに無限大のことができるという意味で“サウンド・マシーン”はありかなと思って、1999年から自分たちをこう呼ぶことにしました」
10代の頃から、東洋が香る音楽が好きだったという剣さん。
「10代の頃好きだったのは、細野晴臣さんのソロ作品。『トロピカル・ダンディ』(1975年)『泰安洋行』(1976年)『はらいそ』(1978年)の南国・楽園志向3部作に出会ったときは、『自分の探していた音楽が見つかった!』と思いましたね」
クレイジーケンバンド、通算22枚目となるオリジナルアルバム「樹影」は、その南国や楽園の雰囲気を感じさせる、まさに“夏仕様”なアルバムだ。クレイジーケンバンドのアルバムのリリースは自身の誕生日もある、“夏”が多い。
「蒸し暑い夏が好きなんですよ。不快指数が高いからこその発情があるし、興奮するんですよね(笑)。だいたい夏か、夏の終わりをイメージしてアルバムを制作することが多いです」
アルバムタイトルの「樹影」を始め、全18曲の収録曲には、「夕だち」「ドバイ」「ワイキキの夜」など、夏や旅をイメージさせるタイトルが並んでいる。その中でもひと際、インパクトを放っているナンバーが、先祖を敬い、やがてそれが生命の神秘にたどり着くことを歌ったナンバー「The Roots」だ。
「実は前作『NOW』(2022年)のとき、ボツになったナンバーで。そのときはアレンジがイマイチだったんだけど、今回サウンドプロデューサーのParkくんがメロディーと歌詞のポテンシャルを発揮するようなアレンジに仕上げてくれたんです。『作詞家より作曲家より、編曲家が一番偉い』んじゃないかなと思うんですよね。イマイチの曲も、アレンジで名曲になることも多いから。その逆もあるけど(笑)」
それにしても、「樹影」の収録曲は18曲。過去のアルバムもほぼ、それくらいの収録曲数を誇っている。「毎度、アルバムのテーマを設定する間もなく、曲がドバドバ浮かんじゃう」という剣さんだが、「そのアイディアが枯渇することはないのか?」と聞くと、即座に返ってきたのが……。
「いや、『枯渇してきたね』って言うお客さんもいますよ(笑)。でも自分では更新しているつもりだし、そう思っている限り、自分で自分の音楽に飽きない。新しい曲づくりに枯渇したら枯渇したで、発表し切れないほどがいっぱいありますから」
いつでもポジティブで楽観的。そんな剣さんでも、このコロナ禍の状態は後ろ向きになりそうになったこともあるのだとか。
「ライブが出来なくて絶望的な気分になりそうだったんですが、なったら終わってしまうので自己洗脳して『ピンチはチャンスだ』という言葉を思い出しつつ、プラスにとらえるようにしましたね。バンドをやりたいと思ったとき、僕はすでに37歳で、デビューはその次の年で38歳。「もう何があってもいいや」という開き直りでやってきました。人生は予感のするほうにコマを進めるしかないですね。長い期間の計画を立てたってそうは絶対ならない。バンドミーティングをして『こんなアルバムにしたい』と考えたって、そうなった試しがないですよ(笑)。だからバンドミーティングはしないんです」
パソコンや携帯電話で音楽を配信で聴くのが主流となった現代。若者の中には楽曲の「前奏やギターソロを飛ばして聴く」などという輩も現れてきた。
「聴き方は自由ですけど、アレンジが必要ないと言われたらやってらんないですけどね。ギターソロもホーンセクションも求められていないとすると、うちのバンドなんてムダだらけ。小野瀬さん(クレイジーケンバンドのギター担当・小野瀬雅生)が1音1音魂込めてギターソロ弾いている姿を思い出したら、ギターソロ飛ばすなんて許せないよね(笑)。弾いてる人の気持ちも考えて聴いてよ。コンピューターだけで完結するミュージシャンが多い中、うちのバンドは11人の大所帯で、そりゃあ合理的でないことはたくさんありますよ。ツアーの渡航費、食事代、いろいろと出費がかさむ。でもやりたいことをやるにはどうしてもこの人数が必要。まぁ3〜4人でできる曲もあるけど。大は小を兼ねますから!」
38歳でデビューして25年。ニューアルバムは毎回、最高傑作。「樹影」は「このアルバムでデビューしたかった」と思わせるものだと、資料に自らコメントを寄せている。
「ああ、それ、毎回言ってるんです(笑)。ニューアルバムは、“そのとき一番興奮するもの”になっているので。『もっとこうしたかった』というのは、アルバムが完成した後に、後から後から出てくる。その後悔からまたニューアルバムを出そうと思うんです」
音楽以外でも、まだまだやりたいことがあふれ出てくるという剣さん。アルバム「樹影」のジャケットには1966年モデルの「プリムス・バラクーダ」が使われているが、自身も5年前からJAF(日本自動車連盟)公認のレースに出場するようになった。
「6歳で『グラン・プリ』というカーアクション映画を観て、車に目覚めたんです。大人になってからもずっとレースに出たかったけど、システムがわからなくて。知り合いが誘ってくれて始められたんです。ビンテージカーばかりが出場するレースが年3回あるんですが、1970年ものの『日産ブルーバード』を改造して出場しています。2022年は春がリタイア、7月は7位、秋はどうなるかなぁ」
自身が好きな細野晴臣、山下達郎といったアーティストが、まだまだ活躍している日本の音楽シーン。剣さん自身はこれからどういう音楽活動をしていきたいのか?
「今の感じで69歳まではやりたいですね。そこからはマイペースにアコースティックなノリもいいけど、それじゃ退屈かな。逆にもっと過激なサウンドになってるかもしれない。とにかくいつまでも“懲りないクソジジイ”でいたいですね。だって、馬鹿なジジイってチャーミングじゃないですか(笑)」