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魚釣五郎(30才)うおつり ごろう。あだ名は“釣り五郎”。職場は海川商事。好きな寿司ネタはエンガワ
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鰒田一平(52才)ふぐた いっぺい。魚釣五郎の上司。休日は釣り三昧。好きな寿司ネタはヒカリモノ
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舟山杜氏(68才)ふなやま とうじ。五郎が勝手に“師匠”と命名。神出鬼没のアングラー。好きな寿司ネタは赤貝
アマダイ:身に甘みがあるから、あるいは横顔が頰被りをした尼僧に似ているから、この名がついたといわれる。秋から冬がシーズンで、水深30メートルくらいから140メートルくらいにかけて生息している。京料理には欠かせない食材で関西ではグジと呼ばれる高級魚だ。市場価格は1kgで約10,000円。
カワハギの釣果を報告しようと、課長のデスクに向かった魚釣だったが、直前で踵を返した。課長からただならぬオーラを感じたのだ。パソコンを前に何か考えて込んでいる様子で、しかめ面を浮かべながら、腕組みをしている。
うちの会社も新型コロナの影響を受けて、業績が芳しくないのだ。そのせいか、最近、課長の機嫌もすこぶる悪い。普段は空気が読めない魚釣もさすがに二の足を踏んだ。しかし、気づかれたようで課長に呼び止められてしまった。
「課長!すみません、“げどう”って何ですか?」
魚釣は課長から発せられた聞き慣れない言葉に戸惑い、その意味を尋ねた。
「なんだよ、“外道”も知らないのか? 釣り人の風上にも置けねーな!」
釣りでは、狙っている魚以外が釣れると、その魚を“外道(げどう)”と呼ぶらしい。魚釣は初めて聞いたが、釣り人には通じる共通語だという。提案書の詰めが甘い魚釣を揶揄していることは感じ取ったが、課長の本意がどこにあるのか、掴みかねていた。課長も詳しくは説明してくれない。
ただ、魚釣は悪い気がしなかった。釣りで喩えられたことで、アマダイを釣ってこいという指令だと勝手に解釈していたからだ。アマダイ釣りってどんな釣りなんだろう? そのことで頭がいっぱいになっていた。空返事をして、足早に魚釣はデスクに戻った。
アマダイは関西ではグジと呼ばれ、京料理に欠かせない食材だ。関東では秋口からアマダイ船が徐々に出港し、冬に最盛期を迎える。とくに相模湾のアマダイ釣りがポピュラーだ。今回は神奈川県小田原の釣宿「おおもり丸」に予約を入れた。
当日までに釣具屋に足を運ぶ時間がなかったこともあり、仕掛けなどを現地で調達することにした。はじめてアマダイ釣りに来たというと、丁寧に教えてくれた。片天秤と呼ばれる仕掛けが絡まるのを防止する器具を糸の先に付け、その先に二本針の仕掛けを取り付けるという。
ハリスと呼ばれる針のついた仕掛け部分は3メートルほどあり、潮の流れに任せてエサのオキアミを漂わせることで、自然な動きを演出する吹き流しと呼ばれる釣り方だ。ちなみにおおもり丸では出港前に希望者に対して、釣り方のレクチャーをしているという。
100メートル近い深場も狙うため、電動のリールがあれば、その方が楽だと教えてくれた。レンタルの電動リールをすすめられたが、張り切っていた五郎は手巻きで挑戦することにした。
朝日が昇るのを号令に船は港を出た。海風が頬を冷たく叩くが、気分が高揚しているのか、不思議と寒くない。まずは港に近い漁場での釣りが始まった。オキアミを針に取り付け、船長の指示に従って、仕掛けを落とす。
深さは70メートルだという。リールからどんどん糸が出ていく。糸が止まったら、重りが底に着いた合図だ。たるんだ糸を巻き、少し仕掛けを底から離し、五郎は当たりを待った。
すぐに小さな当たりを察知し、慌てて糸を巻く。ヒラメ、マダイ、マハタ、カワハギなど、何度も海に繰り出してきたため、自覚はなかったけれど、着実に上達しているのかもしれない。慌てず、慎重に糸をたぐる。
しかし、深場のためリールを巻けども、なかなか仕掛けがあがってこない。早くも手巻きを選んだことを後悔する五郎。ようやく魚影が見えてきたが、アマダイではなかった。
「そりゃあ、アカエソだな。食べられるけど、加工される魚で、あんまり美味くねーよ」という声が聞こえ、振り返ると船長が操縦席から顔を出していた。その後も当たりはあるものの、本命のアマダイはかからなかった。課長の指摘がずばりと当たった形だ。
その後も船はアマダイの魚影を求めて、ポイントを移動する。そのたびに魚はかかるが、五郎にヒットするのは外道ばかりだった。ほかの釣り人はアマダイをあげているので、不漁というわけではない。痺れを切らした五郎は船長に相談することにした。
「船長、どうして当たりはあるのに、アマダイがかからないんですか!?」
すると、「外道ばかりってことは、エサを落とす深さがアマダイと合ってないんだよ。とくにこの辺りの海底の地形は複雑だから、こまめにタナを取り直したほうがいいよ」と船長は答えた。
海底から50センチから1メートル程度、仕掛けを浮かせることを意識していた五郎だったが、それを正確にキープし続けることが外道にエサを狙われないコツだという。ちょっとした工夫だが、釣果に差が出るようだ。確かに、五郎は一度、底から巻き上げると、そこで手を止めていた。
ポイント移動やエサがなくなるたびに、100メートル近い糸を手巻きでたぐっていたため、腕がパンパンになり、疲れで注意力が散漫になっていたのだ。深さをキープする意識が雑になっていた点は否めない。このままでは帰れない五郎は気合を入れ直し、正確に仕掛けを落とすことに集中した。
海底の起伏を想像しながら、リールを巻いたり、仕掛けを落としたりといった作業を繰り返す。しばらく経っても当たりを感じないなら、一度、仕掛けを回収して、エサが付いているのか、確認するのだ。
100メートル近い深場では、エサのチェックも骨の折れる作業だ。だが、アマダイの姿を見たい一心で、五郎はこの動作を続けた。そんな誠実なようすを釣りの神様が見ていたのだろうか? グっとエサが引っ張られるような手応えが五郎の竿に走った。
「慌てないでいいよ!」
五郎の異変をいち早く察した船長が声をかけてくれる。ゆっくりと巻き上げる五郎に再び、クンクンと当たりが伝わった。これはアマダイに違いない。さっきまでと明らかに重さが異なり、巻くのもひと苦労だ。額にはじっとりと汗がにじむ。まだかまだかと祈るような気持ちでリールを巻く五郎は、ようやく魚の姿を確認した。
「やった!アマダイだ!」
嬉しさのあまり、声をあげていた。慎重に糸を手繰り寄せる。キレイな赤みを帯びたアマダイだった。疲労と興奮で五郎の腕は少し震えていた。これだから、釣りは止められない! 大きな満足を抱えた五郎とともに、船は帰港するのであった。
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