
台本に書かれたセリフを吐き、カメラの前で他人の人生を演じる。映画やドラマを見る我々も、目の前の光景がつくり物だとわかっている。それなのに演技や美術にアラを感じると興醒めしてしまう。では、いったいどうすれば生きた人物として画面に映るのだろうか? ある意味で役者とはそんな“違和感”との戦いだ。
松山ケンイチさんは“自然体で演じたい”と日頃から「楽に生きること」をテーマにしていると語る。
「自然体で演じるためにどうすればいいのか? それが僕のいまのテーマで日々を『楽に生きる』ことを意識しています。演技では何かを足すというより、引いていく作業を心がけているといえば伝わるでしょうか?」
また「できるだけ好きな監督をつくらないようにしている」という興味深い言葉も聞かせてくれた。
「この監督が好きだという感情ひとつを取っても、演じる上で、力みにつながると思っています。熱量をもって取り組むということは、同時に力む可能性をはらんでいます。自然体から遠ざかることになるし、客観性を失う原因にもなります。
もちろん仕事ではベストを尽くすのですが、その中には客観的に見るということも含まれていると思うんです。主観だけで動いても、誰もついてきてくれませんから」
たしかに、どんなことでも熱を帯びれば帯びるほど、周りが見えなくなっていく。それを情熱といえば聞こえもいいが、客観的なデータや検証のほうが人を動かすことも多い。僕らもビジネスの現場で日々、痛感していることだ。佇まいがそのままスクリーンに映し出されてしまう俳優は、なおさら力みに敏感なのだろう。
松山さんは数年前から家族との時間を優先して田舎暮らしをはじめているという。それも合点がいく話だ。さまざまな雑音から距離を置き、日常からできるだけフラットな精神状態を心がけたい。それゆえの決断だったと想像できる。
「年度が変わる3月や4月には、子どもたちの学年も上がるし、僕も新しいことにチャレンジしたくなります。日記をつけはじめるのも、だいたいこの時期。毎年、6月くらいまでは日記をつけられるのですが、だんだん日付が飛び飛びになっていきます。
たまに思い出したように書いても、やらなきゃいけないと思うようになると、もうダメですね。好きでやっているうちしか続かないんですよ。自分がそういうタイプの人間だとわかっているし、無理には続けません。自分には向かない作業だった、縁がなかったことなんだ、と思うようにしています」
そんな松山さんがこの2年間、人知れず、続けていたことがある。それはボクシング。4月9日から公開される主演映画「BLUE/ブルー」で、瓜田というプロボクサーを演じている。
「事前に台本を読ませてもらったとき、完成度が高くて感動しました。だからこそ、俳優の下手くそなボクシングでそれを汚したくなかったんです。ボクシングの経験はなかったし、プロボクサーという役柄のレベルになるまでには、相当な時間が必要だろうと、引き受けるのか悩みました」
とくに吉田恵輔監督は中学生の頃から30年以上もボクシングを続けており、趣味や特技という域を超えている。プロボクサーらしい所作にも、とりわけ敏感だ。
「監督と相談して、結果的に2年間、撮影まで時間をいただけることになりました。そんな長期間、役づくりに時間をいただけることは、通常ではあり得ません。だから、期待に応えようと、ジムにいることが自然になるくらいボクシングに打ち込みました」
本作では殺陣の指導も監督自らが行なっている。そのため、クランクイン前にシャドーボクシングをする映像を送り、監督にチェックしてもらうこともしばしばあったという。そのたびに、パンチの角度やガードの高さ、ステップワークなど、細かい指導が入ったと語る。
「きちんとプロボクサーに見えるようになってからが、この作品のスタートラインでしたが、本当にボクシングばかりやっていたので、台本を読むのを忘れていたくらいです。
毎日、部活にでも行くような感覚で撮影に向かっていたので、その空気感やキャストの人間関係が作品に出ていると思います」

また本作ではボクシングを通じて各自の人生が丁寧に描かれる。そこに誇張もなければ、必要以上に美化されることもない。
「試合に負けたからといって不幸になるわけじゃない。また勝ったからといって、幸せになれる保証もない。それが人生の最重要項目じゃないし、失敗は自分を新しくつくり替えるきっかけにもなります。
僕の人生も勝ち負けで考えれば、圧倒的に負けの方が多いと思っています。負けという結果に対して、どういう受け止め方をするのか、あるいは受け流すのか? それで今後の生き方が変わっていきます。失敗すること、それ自体を楽しめる人間になりたいですよね」
本当の強さとは何なのか? ゴングが鳴り、挑戦者の証であるブルーのコーナーから戦いに挑んでいく男たちの姿に心が震えるに違いない。