海山商事で働く魚釣五郎は、鰒田課長の“契約ごとはヒラメみたいに焦らず慎重に進めろ”という謎の言葉をきっかけに、ヒラメを釣りにやってきた。次々と獲物をヒットさせる“師匠”の隣で結果が出ず、焦りだけが募る。見かねた師匠の「本気で食うまで待つ」というアドバイスを受け、釣り上げることはできるのだろうか……。
そういうと、師匠は自分の釣座に戻ってしまった。「釣りたい気持ちが強すぎる!」って言うけど、誰だって同じじゃないの? 師匠だって、嬉しそうにリールを巻いているし、釣る気満々じゃないか! アドバイスは嬉しいけれど、なかなか答えが見つからない。
ヒラメは主に海底の砂地に生息している。砂に紛れて身を潜め、餌のイワシが近づいてきたら飛び出て捕食するのだ。だから、仕掛けを一度、底まで落とし、そこから1mくらいの高さまでをあげたり、下げたりしながら、ヒラメを誘うのが、基本の釣り方とか。そこまでは見よう見まねで覚えたんだけど、いざ釣り上げようとすると、掛からない。
そうこうしているうちに、再び竿を持つ手にズズズと引っ張られるような当たりを感じた。明らかに魚に引っ張られている。慌ててリールを巻こうとした、そのとき!
「まだだって!」という声を背中に浴び、驚いて振り返ると師匠だった。「それは前当たりといって、まだ餌をかじっている最中で、そこで糸を巻いても、餌を離したりするから、針にしっかりとかからないんじゃよ」。そう呟くと、踵を返して戻っていった。
なぜかふと、このあいだ、契約を取り損ねた営業先の担当者の顔が頭をよぎった。そういえば、あの人も提案に興味を持ってくれて、あれこれ質問してきたから、てっきり契約してくれるもんだと思ったけど。前向きな姿勢に、こっちが勝手にいけると確信して雑な対応をしちゃったけど、提案を丸呑みしてくれるまで、もっと丁寧な応対を心がけていれば、結果は違っていたのかもしれないな。
そんなことを考えているうちに、当たりはなくなっていた。餌も取られてしまっただろう。一度、リールを巻き、仕掛けを回収した。まだイワシは付いていたが、よく見ると鱗が剥がれ、少しかじられたような跡がある。弱ってしまっていて、もう餌として使えない。
師匠のヒントを胸に、餌を付け替え、再度、仕掛けを投入する。その直後、いきなり当たりがやってきた。はやる気持ちを抑えて、グッと我慢。ズズズ。ズズズ。まだか、まだなのか?ほんの数十秒待っているだけなのに、時間が永遠のように感じられる。すると、今度は強烈な引きが竿を襲ってきた。こ、これだ! 慌てて竿を立て、リールを巻く。しなる竿に師匠も気が付いた。“師匠、やりましたよ”と、心で呟きながら、巻き続けたが、次の瞬間、ブチっという音とともに糸が切れてしまった……。絶対、大物だったよ。悔やんでも悔やみ切れず、呆然と海を眺める。
ようやく何かを掴みかけてきたけれど、残念ながら、ここでタイムアップ。楽勝で釣れると思っていたけれど、現実はそんなに甘くなかった。本当は巨大サイズのヒラメを釣って、船上で自慢のメールを課長に送るつもりだったんだけど……。悔しがる課長の姿を妄想しているうちに船が漁港に戻った。片付けをして、足取りも重く船宿に顔を出す。今日の釣果を報告しなければいけないのだ。
「ゼロです」と、ひと際、小さな声で釣果を告げると、船長が何かを差し出してきた。イワシの干物だった。「釣れなかった人へのお土産だよ。イワシの気持ちを学べってことさ(笑)」
まったく笑えないジョークだ。そこへ師匠も戻ってきた。大きなクーラーボックスを重たそうに担いでいる。すると、おもむろにヒラメを一尾差し出してきた。「これ持って帰んなよ。せっかく来たんだし、美味いよ」。一瞬、躊躇したが、立派なヒラメを前に自然と手が出ていた。「ありがとうございます。遠慮なくいただいていきます!」。課長にはこの写真を見せて、大物が釣れたって自慢しよっと。
転んでも、ただでは起きない五郎であった。 (つづく)
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